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途方に暮れている暇

 私の形をくりぬいただけの世の中なのに、どうしてだかうんと淋しく見える、たとえ短い間でも、やがて登場人物はいずれにしても時の彼方へみんな消え去ってしまうとしても、そのスペースがとても、大事なものみたいに輝いて見える。
 まるで木々や太陽の光や道で会う猫みたいに、いとおしく見える。
 そのことに私は愕然として、何回でも空を見上げた。体があって、ここにいて、空を見ている私。私のいる空間。

 よしもとばなな「あかあさーん!」/『デッドエンドの思い出』(新潮文庫)所収、p.111


 4月ももう下旬らしい。いつの間に、という感じはあまりしないし、息苦しくって時が経つのが遅い感じもしない。今回こそはと、おそらくいまの状態のじぶんにベストな力の入れ方で臨んだ新学期。なんとなーく思い巡らせていた「きちんと」の照準範囲から、まあはみ出すとしても片足くらいなもので、幸いにまだ大崩れしないままに日々が過ぎていっている感じではあるな。とは言えあくまでもここ二、三年の自分と比べて、ではあるのだけれど。
 平日をまるまる寝過ごす(ひどいときには1時寝・17時起きである)こと5回くらい。それでも音信不通と3日以上にわたるひきこもりは今のところ、していない。お米もまめに炊いているし。体調がすぐれないときには、因果関係にあたりをつけることが八割がたできるし(なにしろ、「なんだかよくわからないけどだるい」のが続くことほど面倒くさいことはない)。旅館で修学旅行生の食事の準備やら掃除やらのアルバイトもはじめたし。

 あとは自分予報と自己管理をどれだけできるかだな、いよいよ。

 と思っていたらば、今日も見事に寝過ごしてしまった。一昨日の晩になかなか寝つけず、昨晩はさみしいさみしい病にかかっていたことを顧みると、まあ必然の範疇ではあるけれど。

 明日は朝の6時からアルバイトなので早く寝てしまうことにして、仕方がないのでただいま、ちょっと途方に暮れてみている。
 
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
 
 おととい、ツイッターに、次のようにつぶやいた。

「死にたい」も「泣ける」も蔓延しすぎじゃないの。肝心なときに伝わらなくなっちゃうのが嫌だからあまりつかわないようにしてるんだけど、じゃあなんて言葉で吐露したらいいんだよって途方に暮れる。 


 内容の方はここでは置いておくとして。今日起きて自分のつぶやきを見て、つぶやくときわりあい無意識に選んだ「途方に暮れる」っていう表現について、すこし考えてみたのだった。
 
 まずこの4月になって、おそらく大学に入って以来もっともまじめにきっちりと(これでもそうなんです、ええ)通っているわけなのだけれど、そこで気がついたのだ。

 そうか、きちんと生活していたら、途方に暮れている暇なんて、ないのだなあって。途方に暮れるって、贅沢な時間の使い方なのだなあって。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 だけど、よくよく考えてみると、この気づき方って実は変なのじゃないか。だってたぶんふつうは、というか学校や仕事や諸々のやらなきゃいけないことを毎日やって過ごしている人たちにとっては、途方に暮れるっていうのは一過性の心の動き、だろう。どちらかと言うと。
 「久しぶりに梅田に飲み会に行ったらさ、終電逃して途方に暮れちゃったよ」とか、「いつものパン屋さんでいつものクリームパンを買おうとしたら売り切れでね、私が店に入るときすれ違った人が買った分が最後だったんだって、途方に暮れちゃったわよ」とか、たとえばそんなふうな感じの。

 でもそうではなくて、途方に暮れている「暇」なんて表現が意図せず出てきてしまったのは、おそらく僕が、途方に暮れるってことを具体的な行為(もしくは時間の過ごし方)だと捉えている、その前提があるからなのだ。

 休学中かつ休団中かつアルバイトもなにもしていなかった二年前の5月6月くらいを思い出してみると、毎日毎日「途方に暮れる」っていう過ごし方をしていたなあ、と思う。昼過ぎに起きて、パソコンとだけ向かい合って、晩ごはんもお菓子だけで、考え事だけで体感時間のそれはそれはながい夜更かしをして。外に出るのは立ち読みにいくコンビニくらいで。たまに午まえに起きても、河原町に一人カラオケしに行ってばっかりだった気がする。活字もあまり頭に入ってこなかったし、短歌はぱったり作れなくなっていた(あまり関係ないかもしれないけれど)。中身のあることをなんにもしないまま、日が文字通り暮れて、夜になってもまだ、やっぱり途方に暮れていた。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 そんなふうに、ぼんやりとしかし切実に<行為として>(時間の過ごし方として)途方に暮れていた日々はいつの間にか遠のいた。
 
 なんだかんだいって今期こそ生活らしい生活ができそうだな、と思える現状なのだけれど、そうか、<心の動きとして>途方に暮れる方法を手探りしないとなあ、と思うのだ。日々の出来事のちょっとした隙間に差し挟み差し挟みして、でも生活の営みは途絶えさせない、くらいのこなれた感じで、途方に暮れる方法を。

 せめて週末にまとめてぼーっとする、くらいのレベルで感情やら何やらを処理できたらいいのだけどな。昨晩は夕食後にお菓子をやや過食したり、今日は平日なのに思いっきり寝過ごして、ぐだぐだ文章を書いている。そういうかたちで、やや<行為よりの>途方に暮れ方をしているわけなのだが、もうちょっとスマートに処理できないかなー。

 まあしかし、<心の動きとして>の途方に暮れ方にこなれてゆく、なんて急にできるもんかよ、というのも承知しているので、ゆっくり模索していくしかないのだろうな。上に挙げたつぶやきでは、途方に暮れるって言葉を無意識に<心の動き>よりの意味で使っている、そういう小さなことも、いい兆しなのかもしれないし。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 もちろん、こういうことを言えるなんて実に呑気だと見られても仕方がない。実際そうだ。結局いまの自分の環境に甘えていることに変わりはないって、自覚しているつもりではある。だって学生だからこそ、今日一日くらいこうも派手に寝過ごしたからって取り返しがつくわけで、社会に出たらこうはいかない。
 
 だから甘えているって自覚した上で、だけど<行為として>途方に暮れることができる贅沢を、いまのうちに噛みしめておこうと思う。ただだらけるのではなくて。ちょっとでも建設的に途方に暮れてやろうと思う。京都にいるのも今年で最後になるかもしれないから、できるだけ街中とか川原とか寺社仏閣とかで途方に暮れてやろうじゃないか。
 生活の営みと、途方に暮れる時間との行き来を、自然になめらかに負荷をかけずに、できるようにだんだんなっていくために。
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