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表現について思うこと

 小説家になるということはすばらしいことのように思っている人がたくさんいるけれど、ほんとうは自分の心の中のかすかな醜さまで見つめなくてはならない、たいへんいやらしい仕事だと思います。
 現世で生きづらい人ばかりが小説家になるような気がします。頭の中が妄想のようなものでいっぱいになり、目の見え方もおかしくなってきて、そして初めて人はそれを放出するのだと思います。蓄積があって、必然があって出てくるのです。
 よしもとばなな(森博嗣『ナ・バ・テア』中央公論文庫、解説より)




僕は小説を書かなくて短歌なわけだけれど、ばななさんの言うとおり、とつくづく思う。
というか、今まさに生きづらさを実感している真っ最中で、そうなると感覚が研ぎ澄まされて、
新しい歌が出てきたり、歌の推敲が凪いだ心でできたりするのです。


結局、ここ3日ほど、心身ともに引きこもっています。
やっぱり新生活始まって二週間、疲れが出てきたのと、
いまさらに旅の終わりを実感し、現実の重圧が身に迫ってきたため、かなぁ。

けれども、多少言い訳めいてしまうのは仕方ないけれども、
歌を作るのって逃避じゃなくて、現実とまた向き合うためにやっていることだと思うのです。

たぶん、小説家も詩人も音楽家も、おそらく画家も、心のどこかが欠けていて、
あるいは満たされない思いを抱えていて、あるいは癒えない傷を抱いていて…
そうしたなんらかの動機づけ、彼または彼女を表現に駆り立てる狂おしいほどの力、
それがあってこそ表現しているのだと思います。

多かれ少なかれ、表現しないと生きていけない。
そうした、どこか歪んだところを持つ者が表現者なのではないでしょうか。

常日頃、意識的あるいは無意識に感じている生きづらさのようなものが、
ふとした瞬間暴れだそうとして、それをなんとか制御して一つの方向性を与え、
なんらかの形に結実させることを、表現と呼ぶのではないでしょうか。

その切実さの具合が、表現として生み出されたものの確かさや信頼度を裏付けるのではないでしょうか。


少なくとも、僕の表現者としての自意識は、こうした考えの上にあります。


…さっきから、~でしょうか、って言い過ぎじゃないでしょうか。


つぶやいてみたらなんとなくすっきりしてきたので、明日からまた無理のないレベルで日常にもどろうかと思います。
ふう。
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